とても短い期間、首都だった恭仁京(くにきょう)。
一時でも日本国の首都が京都の端っこ、それもこんな場所にあったなんて嘘みたい(笑)。
恭仁京のあった場所は山背国相楽郡。現在は木津川市加茂地区となっています。
歴史で習った記憶もなく(忘れてるだけかも)、この年になってこの場所を知るまで平城京→平安京だと思ってました。(ちょっと端折りすぎ?)
史実によるとこの時期、平城京から→恭仁京→紫香楽宮→難波京→平城京に戻る→長岡京→平安京と遷都が短期間に目まぐるしく変わる時期だったようです。
中でも恭仁京遷都を行った聖武天皇は恭仁京含め様々な理由で4度も遷都を繰り返した方。もし自分がこの時代に生まれていたならさぞや、落ち着かなかったろうなぁ、と(笑)。
繰り返される遷都の他、災害や疫病の流行もあり財政事情の厳しさは容易に創造できますよね。
周りの労働者達も振り回されて大変やったと思います・・・私の様な弱虫じゃこの時代、到底生き抜けそうにありません。

画像はwikipediaよりお借りしました
そんな中で奈良の大仏様を建立された方なのでかなり仏教に傾倒されてた方なんだろう・・・と思ってwikiってみたら最後は突然出家されたと記載がありました。
・・・本当に信仰に熱心な方だったんだなぁ(´ρ`)。
なんか色々と方向性が違ってた気もするけど、ね。
では、恭仁京跡に行ってみます・・・!
向かいにある御菓子処「千石おはぎ」さんの横の歩道橋です。

らせん状になった歩道橋があります。
ひー、ただでさえ何も無い場所に辺り一面枯れ野原が続いています。さすがにこの時期は花も咲いてません・・・。
恭仁京大極殿址は石階段を上がってすぐの一段高い場所にあります。
北風寒い・・・
来た時期が悪かったみたいです。
何の”映え”もありません💦
秋にはコスモス畑になるこの地では、木津川市秋のイベント2018年「木津川アート」の開催地にもなっていました。
覗きに行こう~と思ってる間にバタバタしていて、気づいたら終了していました。毎年このパターン。あかーん💦
恭仁京の中心にあったとされる恭仁宮。
恭仁京が廃都となった後、この場所は当時全国的に建立されていた国分寺の一つ、山城国分寺として利用される事になりました。
大きな石の礎石(そせき)は国分寺の塔跡だそうです。
慰霊碑かしら?!と思うほど寂しい雰囲気を醸し出しております・・・。
うーん、寺社仏閣は大好物なんですが、こういった歴史的建造物は今一つよく判ってなくて・・・何も意見が無くて申し訳ない(;'∀')。
2015年には旗やのぼりを立てたとみられる柱穴の跡が見つかったようで、現在も所々で研究が続けられているみたいです。

まだまだ歴史の採掘は続く…。
お好きな方にはたまらんロマンなのでしょーね😊。
◎史跡名 恭仁京(恭仁宮・山城国分寺跡)
◎住所 木津川市加茂町例幣
◎駐車場 有 駐車場と書かれているわけでは無いのですが、らせん状の恭仁歩道橋降りてすぐのスペースに地元の方が作業をするのに停められていました。
◎最寄り駅 JR加茂駅西口より徒歩30分 コミュニティバスが運行しています。
★この記事は当時の情報です。予定を立てられる場合はご確認の上お願い致します😊
情報に誤りや変更点などありましたらこちらから教えていただけると嬉しいです!★
どうやらホントに来る時期を間違えた感があるので(どれもこれも写真映えしなさ過ぎるよ~)いつかまたリベンジしに来たいと思います💦
そして
恭仁京跡にはトイレが無いので・・・💦↓
近くにあるくにのみや学習館をおススメします。
こちらは水洗トイレ(いつでも使用可)有り、駐車場有り。肝心の恭仁京跡からもほど近く利用価値高いです😊♪